2005.12.14 Wednesday
百円玉、二枚 -Newborn baby and I-
路面上を延びる線路から伝わる振動が私の身体を小刻みに揺らす。サスペンションが吸収しきれずに諦めたそれは、僅かな不快感と仄かな懐かしさを私にもたらしながら、一定のリズムを刻み続ける。
私は久しぶりに路面電車、俗にいうチンチン電車に乗っていた。 車窓にゆっくりと流れる風景は、以前とほとんど変わらない街並みと、そこで営まれる雑多な日常をそのまま映し出していた。 「運賃はつり銭の要らぬよう、直接運賃箱へ……」 車内に流れるアナウンスに促されて、私は財布から二百円を取り出す。目的地の駅へはあと三つある。数枚あった小銭の中から抜き出された二枚の百円硬貨は、片方がきらきらと輝いていた。一目で真新しいと判るそれは、平成十七年、即ち今年に製造されたものだった。 ふと気になってもう一枚の製造年を見てみると、私の生まれた年と同じだった。 新しいものに比べ、私と同級生のそれはとても薄汚く見えた。手垢に塗れ、淵に刻まれたギザギザは磨耗してなくなり、裏にエンボスされたヤマザクラの蕾も、それと判別出来ないほどに磨り減っていた。 手のひらに二枚の百円硬貨を並べてみる。 片方は眩く輝き、片方は薄汚れている。 片方は今年生まれた赤ん坊、そしてもう片方は私の同級生。 どちらも同じ百円硬貨。どちらも同じ人間。 赤ん坊はこれから長い年月を、幾人の人々の手を渡って行くのだろう? 私の同級生は、その生まれた年から今までに、一体幾人の人々と関わってきたのだろう? 時には子供の大切なお年玉として? 時にはおばあちゃんの年金から孫へのお小遣いとして? 時にはお母さんの密かなヘソクリとして? 時にはお父さんのホッとする缶コーヒー代として? その時代、その国、その人々によって価値を変え、それでも同じ“百円玉”として。 時には数億というお金の一部になるかも知れない。 時には自動販売機の下に何年も、誰も知らぬままに落ちていたかも知れない。 どんなことがあろうとも、彼らはずっと“百円玉”であり、その役割を果たしていくのだろう。 私の場合はどうなのだろう? 私は今までずっと私であり、これからもずっと私であり続ける。 時には息子として。 時には彼氏、夫として。 時には友人、同僚として。 時には父親、祖父として。 そして時にはただ通り過ぎるだけの他人として。 出会いと別れを繰り返し、その時、その場所、その人々によって存在価値を変え、それでも同じ“私”として。 そんな取り留めもないことを考えている私を余所に、いつしか電車は目的の駅へと到着した。私は二枚の百円硬貨にもう一度目を遣ってから、運賃箱へと投げ入れた。彼らの新たな出会いを期待しながら。 そして私は電車を降り、次の目的地へと歩き出した。ほんの少しだけ、街並みを新鮮に感じるような気がした。 |