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2005.06.25 Saturday
学校で教わること -It makes a human being a human being-
私の好きな歌手の一人に尾崎豊がいる。中高生の時よく彼の歌を聴き、そして彼に共感を抱き、その自分の若さと言うエネルギーを持て余したこともあった。
“学生” と言う身分ではなくなってからもう十年近くの年月が経ち、彼の歌を聴くことに、何か違和感のようなものを感じるようになったのは、私が大人になったからなのか? また、もしも彼が生きていたならば、今でも『15の夜』や『卒業』をあの時のように歌えるのだろうか? おそらく無理だろうと想像する。そう彼も大人になっているはずなのだから。 自分が子供であると認識していた時、大人は簡単に自分の敵にすることが出来た。自分が、その大人達にどれだけ養護されているかを気付くことさえ出来ずに…。 国・町・学校に先生。 ―そして親。今思えばどうしてあれだけ疎ましく感じたのかが不思議なほどだ。 彼らから口酸っぱく言われた言葉 ―「勉強しろ」。 「大人になってから後悔する」 ―これが決め台詞だった。 確かに今、私は後悔している。勉強したいと思っても、仕事や雑多な日常に捉われ、その為の時間やエネルギーを作り出すことが非常に難しいからだ。 なぜ学生の時に勉強しなかったのだろう? 持て余すほどの時間とエネルギーを持ち得ていたというのに。 「なぜ勉強しなければ駄目なのか解らない」 ―私の場合はこれだった。 大人達は誰も答えれず、「自分の将来の為」という陳腐な回答しか帰ってこなかった。 自分自身でも、その答えは見つからずに大人になってしまった。 でも最近、その答えを見つけたような気がする。 その答えは「人間だから」 言葉だけ聞けば当たり前と感じるかもしれない。でもそうではない。 人間は、生まれた瞬間から人間ではあるけれど、その生活環境というものは、現代の人間と平安時代の人間とでは大きな違いがある。電気やガス、乗り物や衣服。勿論食べ物だって違う。 この違いを違い足らしめているのが“知恵と知識”だ。 過去の人々からの“知恵と知識”により、今の我々の生活は成り立っている。 その仕組みは知らずとも、車に乗り、テレビを見て養殖された魚を食べる。 「人間だから勉強する」と言うのは、現在と未来の人間の為に過去の“知恵と知識”の根底を知り、その上に新たなる“知恵と知識”を重ねる為の準備をすると言うことだ。 勿論ほとんどの人は、過去や現代の“知恵と知識”を享受するのみだろう。それは仕方がないことだと思う。勿論私もそのうちの一人だ。けれども多くの人々が“勉強する”ことで、新たな“知恵と知識”を重ねる可能性が高くなるのは間違いのないことである。 もし平安時代の農民が教育を受けていたら、そのうちの誰かが万有引力の法則を発見していたかも知れない。もしも私が確りと勉強していたら、新たな発電技術を発見しているかもしれない。私の言いたい事はそう言うことだ。 この答えは、幾つかある内の一つではあるだろう。いや、もしかしたら間違っているかもしれない。 けれど、これが私が見つけ出した答えだ。 いつになるかは知れないが、将来私に子供が出来、その子に「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたら、勿論私はこう答えるだろう。 「それはお前が人間だからだよ」 昨日は帰宅が遅くて書けなかったので、今日はちょっと長め&真面目に書いてみましたよお父さん。 (゜д゜)<あらやだ! ![]() |
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